多治見ききょう法律事務所

弁護士 木下 貴子 ブログ

これからの社会で必要な,課題を自分で発見して主体的に解決できる大人になるには?岐阜県市町村教育委員会連合会研修

これからの社会で必要な,課題を自分で発見して主体的に解決できる大人になるには?岐阜県市町村教育委員会連合会研修

学校の椅子におとなしく座ってられない子。椅子の背の方に体を向けて寄りかかって座ってしまう。多動の子どもで何度注意しても,歩きながらハサミを使う子。危ないから先生がとめていた。でも座った途端に「切れない!」とパニックになってしまう。

うちの子も,以前は椅子に座っていられない時期もあり,母親としても身に覚えのあること・・

今回の研修で,冒頭のような子どもたちが「座っていられるようになった」「はさみをちゃんと使えるようになった」という話を聞いた。
そのために先生がしたことはなんだったのか・・?

今回の研修の講演会の内容をご紹介しながら,私のように困っている親御さんや,普段私が教育委員としてかかわっている学校関係者の方にもと伝えていきたいと思いました。

今回の講演者は,中村有希先生。現在は,岐阜市立長良東小学校の校長をされています。
以前は文部科学省で,教育委員会制度の改革などに深くかかわってこられた方。アメリカのカリフォルニア州でカリフォルニア大学バークレー校の客員研究員などもされていて,日本以外の教育環境も知っていらっしゃいます。

そんな中村先生が現在は校長先生をしているということで,こうした多角的な視点,経験を踏まえて子どもたちのこれからの教育で大事なことを教えていただきました。3つ,その中でも私が特に印象に残ったことを紹介したいと思います!

1 反応でなく真の反応(思考)を大切に

小学校でよく見られる風景。

誰か発言をすると,「分かりました~」「同じです~」他の子どもたちが反応をする。
一律の反応。でも,本当に同じなのか?

一律の反応が自分で考えることや本当に思ってること=「真の反応」を妨げてしまってるのではないか,というお話。

確かに,私も教育委員として,学校訪問をすると,この風景を見かけることがあった。
反応してもらえることで,子どもたちは,安心して発言ができる。
だから,私は大人もあいう風に反応できると話しやすいんじゃないかなって・・なんで大人は反応しないんだろう,そんなふうに思って見てる時があった。

確かに話しやすい,発言しやすい雰囲気は大事。でも話しやすい雰囲気を作るためには,こういう方法じゃなくてもいい。
子供達が「あ,そうなんだぁ。ちょっと僕の意見とは違うな」とか,ふと出た「つぶやき」を取り上げて大事にするだけでいいらしい。

失敗してもいい,安心して話せるというのは「心理的安全性」と呼ばれていて,仕事でも成果を上げるためにも,とても大切らしいんだけど,具体的にそれを保つための方法が「つぶやき」を大事にすることなのかなと思った。
(そういえば,主体的で自信を持てる子の作り方~先生の指導方法でうちの子もこんなに変わった!で書いたように子どもたちも以前にそういうことを言ってる)

家に帰ってから,中学生の息子に「今でも学校って同じです,とか言ってるの?」って聞いた。
息子は「最近は,そういうことはあまりない」「それはちょっと自分とは違うな,とか,と呟いたりしてる」とのこと。
「でも,他の子が反応してくれないと話しにくくなるんじゃない?」っていうと,「先生が,自分のつぶやきについてなんか言ってくれたら違う」というようなことを言ってた気がする。

だからやっぱり・・先生がそれぞれの子どもたちの「真の反応」「つぶやき」を拾って,取り上げてくれたら,それぞれの子の自然な,真の反応,一律でない「本当の自分の考えたこと」が出せるようになるかもと思った。

2 行為の奥の思いを褒める

先生がする声掛け。「きちんと座って話を聞いて」「姿勢よく授業を聞いて」
運動会で,司会の児童〇年生の発言。「いい姿勢で待てています」「並ぶのがはやいです」「閉会式でも,返事,反応をやり切りましょう」「今日は素早く動くという目標を立てました」「素早く動く,並ぶ合図で素早く動きました,返事,反応が揃っている場面が多かったです,今後の日常生活でも揃える,反応するをやりきろう」

でも・・本当は,大事なところは「外形的」な姿勢が良い,とかはやいとか,揃ってるっていうところではなくて,その奥の思いの部分。

例えば,授業中なら,迷いながらも手を挙げているその頑張りとか,一生懸命考えて対話をしているところとか,先生や友達の言葉を単にノートに書いているだけでなくて,「自分から進んで」自発的に書いているところとか。
そういう具体的な姿をとりあげて,なぜその子がそういう行動をしているのか,その奥の思いも含めて褒めるのが大事。

いい姿勢で聞いてるね,ではなくて,「積極的に学ぼうとしているね」とか,「ほかの人の意見も聞いて,自分の考え方を深めようとしているのがいいね!」とか,そういう部分に注目して褒めることなのかなと思う。

外形的な姿勢などは確かに,心の奥を表してるものだから,外形的に整うことで確かに心の奥が整うところもあるんだけど,見るところ,褒めるところはその外形部分じゃなくて,奥の思いを褒めたほうがいいんだな,と改めて思った。

外形部分に着目し続けると,本来の「目的」と関りなく,その「外形」だけを求めてしまいがち。
でも,奥の思いに注目する習慣ができれば,「本当に大事なもの」が何かわかって,自分でも行動を決めたり,お友達の良いところにも注目できるようになる。「外形」を褒めるとどうしても一律な言動に偏りがちなので,そうではない個々の思いに注目するのは,どんな場面であっても自分で考えて柔軟に対応できる,これからの社会を切り開いていく大人になるために,とても大事だなと思った。

3 手立てを考える

学校が外からよんだいわゆる偉い人の講演があったりする。そういう時に,子どもたちが寝てしまったり,話をきいていないかったりすると先生としてはドキドキする・・きっと,その講演者に申し訳ないって思うところもあるのかなって思う。

その時,「姿勢悪いぞ」と言う,もしくは,黙って子どもの肩を叩いたりして,寝ているのを起こしたりする風景がある。
でもそれは,必要ないんじゃないかという話。

先生がピリピリしながら,自分たちが聞いているかどうか,姿勢を見ている。それは安心して聴ける感じでもない。
どうしたら子どもたちが楽しく聞けるのかな?って考える講演者で,話自体が面白いなら子どもたちも聞いてくれる。
でも,そうじゃない時は・・「手立て」として,聞けるような導入の「発問」をするのもいいらしい。

例えば,聞く姿勢を整えたいなら,公演の始まる前に「この話に題名をつけてみましょう」とか,「要約すると一番大事なことは何か後でお話ができるようにしておきましょう」とかそんな感じ。

そして冒頭のお話の椅子に座っていられない子の話。

ちゃんと授業中は椅子に座ってみなさいって言えば座っていられるのか,というともちろん,そうじゃない。
そこで,保護者に聞いてみた。「うちでは,踏み台だったら,それを椅子のようにして,おとなしく座ってご飯を食べてたりするんです」とのこと。

それで,学校での授業もその家で使ってる踏み台に座って受けるようにしたら・・
ちゃんと座っていられるようになった。

ほかの子と違ってていいのか,「不公平なのではないか」って先生とかは気になるけど,実は他の子どもはあまり気にしていなかったらしい。気になるのはむしろ先生側の問題。

冒頭のはさみの事例。東京家政学院大学和田美香教授のお話から教えてもらったことらしいのだけど,その時,指導者の方が歩きながらじゃないとハサミが使えないなら,ということで,床に絵を描いて「この円の中でなら歩きながら使っていいよ」と言ったとのこと。

そうしたら,その子は、その円の中で歩きながらハサミを使ってちゃんときれいに切れた。

座ることにエネルギーを使ってしまうとハサミを使うエネルギーが残らない子もいる・・
この時に危ないでしょ,何度言ったら分かるの,と叱られ続けると自己肯定感が低くなってしまう。
一方で,こういう方法があれば,この方法なら私,僕はうまくできる!って自覚できる子が生まれたら,そういう子の方が確かに自分の力を発揮してこれからの人生を工夫しながら乗り越えていこう,とすることができる。

一般的な大人だって正座して足がしびれている状態だと他の人の話(法事に来てくれる僧侶とか)が聞けないことがあるでしょう?座っていられない子供にとっては,動いていることが普通だから,無理やり座ることはにエネルギーを使うと,まるで足がしびれているような状態で,それ以外の事(授業を聞く,とか工作をするとか)をするようなことと同じ・・と言われて,なるほどと思った。目を見て聞きなさい,も同じようにかえって集中力をそいでしまうこともある,とのこと。
つい子どもに言ってしまうので,気を付けよう・・と思った。

まとめ 考え方が大事

経団連のアンケートで,大学卒業者に特に期待される資質は「主体性」,特に期待する能力は「課題設定・解決能力」,特に期待する知識は「文系・理系の枠を超えた知識,教養」

そう考えると,社会を生きて行く中で身につけておいた方がいいと考える行動や発言が不足している子がいるとしたらどうしたらいいんだろうか?

例えば,つい席を立って歩いてしまう子,なかなか手を挙げて発言ができない子。
そういう,子に「歩いちゃダメだよ」とか「手をあげなよ」とそのまま言っても,できるようになるわけじゃない。「主体性」も身につくわけじゃない。

でも,なんで歩いちゃうのかな?どうしたら歩かない方法があるのかな?
手があげられないのは何が不安だからなんだろう?そもそも学校の授業がわからないのかな?間違っている時のことが怖いのかな?どうしたら上げられるようになるのか?

その発言や行動の背景にある「考え方」「思い」を掘り下げて考えて,解決方法のヒントを先生や周りの大人が示してくれたら,これから問題があったときに自分で「主体的」に考えて切り開いていけるんじゃないかなと話を聞いて思った。

みんなちがってみんないい,違いがあるからこそ素晴らしい,最近はそういうことを教育現場でもよく言われるようになってきたと思う。けれど,実際には学校でやってることが,一律の反応とか一律の答えを求めるようなことだったりすると,なかなか子どもたちがそれを実感することはできないのかな,と思った。

そうではなくて,もっと柔軟に,数式の答えをそのまま聞くのではなくて,答えがバラバラになるような「発問」をしたりして,バラバラな答えになるのを楽しむ授業があっても面白そう,と思った。

どうしたら,課題がある子が,課題を解決して「できる」っていう状態になるのか,一律ではなくて,個別具体的に考えてもいいんだなと思った。

私は来月,9月で多治見市の教育委員の任期が終わる予定なのだけれど,終盤に,こんな素敵な話が聞けてよかったなと思う。私の子供たちもかなり大きくなってはきたけど,大人に対しての接し方でも通じるところはあるし,自分自身への接し方でも関係することだから,これからもこういう学びを大事にして活かして行きたいと思います!

表面的,外形的な言動の背景にある「考え方」を意識すると様々な場面で応用が効くと思う。
弁護士をしていて思うのも,どんな事案も何一つ全く同じものはない。人生にはさまざまな出来事があって,どれ一つも全く同じものって無いと思う。

だから,そういう時の解決方法って,一律な一つの解決方法では解決できない。でも,「考え方」を知っていれば,こんなときはどうしたらいいのか,自分で考える力もつくと思った。これからもさまざまな場面で応用のできる「考え方」,なぜそうするのか?どうしたら解決できそうなのか,いつも意識していきたいと思います。

これからも,自分自身の子ども達,家族,友人のため,そして,弁護士として,うちに相談に来て下さる依頼者の方々のため,母としても,自分自身も周りにいる家族や友人も「幸せに生きるための方法」学んでいきたいと思います。

教育委員としての研修も通じて,多角的に学ばせていただいて,本当に感謝しています。ありがとうございます。
引き続き,研究報告,活動発表,致します!

それでは,
このブログを読んで下さった教育に関わる先生方が,子どもたちが自信を持ち,主体性を持って行動できるようになれるよう,主体的で深い学びをするための方法として一つのヒントとなりますように。

また,子育て中のお父さん,お母さんが,子どもが自己肯定感をもち,自信を持って人生を切り拓いていく子になるために何をしたらいいのか,具体的に考えてみるヒントとなりますように。

今回も最後まで読んで下さって,ありがとうございました!