多治見ききょう法律事務所

弁護士 木下 貴子 ブログ

我が子・多治見の子ども達に受けさせたい教育

我が子・多治見の子ども達に受けさせたい教育

いつも読んでいただき,ありがとうございます。

7月10日にインクルーシブ教育で,先進的な取り組みをしている大阪府「箕面市」に視察に行きました。
また,18日には,今後10年間の教育基本計画を策定するための委員会,
19日には土岐市,瑞浪市の教育委員と合同で行っている「東濃西部教育委員研修協議会」にも参加しました。

箕面市の制度は,ひとことで言うと,あまりにも,進んでいて驚きました。
しかし!何か一つでも我が子の教育環境のため,多治見の子ども達の教育環境のため活かせないかと考えました・・。

また,委員会や研修に参加して,気づくことも多くありました。

今回は,その中で,私が我が子や多治見の子ども達のために出来ること,あるといいなと思った「教育環境」について,考えたことをお伝えします。

1 つなぐ人

「つなぐ人」が欲しい,と思った。
耳の聞こえにくい子供も,痰の吸引が必要な子供も普通学級で一緒に授業をしている箕面市。

担任の先生も,生徒達もそれが「当たり前」と捉えていた。
子ども達は,小さい頃から一緒に障がいのある子達と過ごすことで,それが「当たり前」として捉える。
話せないという障がいのある子に対して「今○○君は,怒っているよね」と他の子ども達が気持ちを理解できていることに感動した。
障がいのある子も参加できるイベントにしよう,として「クラスの一員」と認めていることも伝わった。

一緒に過ごしている子ども達が,障がいのある子の気持ちを伝えてくれる。
大人である担任の先生も,障がいのある子の気持ちをくみ取って,伝えてくれる・・
もちろん,支援するスタッフの先生もつないでくれる・・

つないでくれる人,子ども達が沢山いる。
だから,安心して障がいのある子も「普通級」でもすごせるのだな・・と改めて思った。

多治見で,もしこれを導入したらどうなるだろう・・
障がいのある子が一緒に過ごす学習環境,学級を幼い頃から体験してきていない私たち大人,先生はどう対応したら分からなさそう・・だと思った。
実際私も,わが子に接するまでどのように対応したらいいのか,真剣に学んだことはなかった・・

小学校の頃,障がいのある子が教室にいたこともあったけれど,「複式学級の子」というよく分からない異質な存在として捉えていた気がする。
今から思うと本当に申し訳ないけれど・・小さい頃,私はどう関わっていいのか分からなかった。
箕面市では,障がいのある子がクラスにいると,「困ったときには助け合うべき」という回答をしている子の割合が多い,とも聞いた。

もちろん,勉強して対応の方法を学んでいる先生もいらっしゃるとは思うけれど,幼い頃から一緒に学ぶ,生活することが「当たり前」となっている箕面市とは「文化」が違う。
子ども達は,大人よりも柔軟だから,一緒に過ごすことで自然と障がいのある子への対応を学ぶとは思うけれど,最初はやはり大人を手本にすると思う。

手本になる大人の理解がなかったら・・・なかなか難しい。
うちの子も普通級で過ごせる「インクルーシブ」が理想だと思ったけれど,実際には今の支援級にいる方が明らかに安定して,安心して過ごしている・・
とても,感謝してる。

でも,普通級の担任の先生からは「クラスの受持ち児童とは思われていない」・・と感じてしまう場面もあった。
私自身の子どもにとっては今の「支援級」での生活の方が,安心な環境なのだけど,このままだと,ずっと,「普通級の子」と「支援級の子」を区別して扱う文化から一歩進んでいけないような気がする。

小さい頃,柔軟な発想が出来る頃に一緒に過ごす箕面市の子ども達をみて,大人になってから,どう「個性のある相手」を受けいれて,付き合っていくか,「共生」できる文化に大きく影響を与える重要なことだと思った。。

他の子ども達からも「異質」なものとして捉えられていくのだろうな~と思うと,今の状態の方が我が子にとっては安心できていいのだろうけれど,それでいいのかな。。という気がした。
適切に対応の仕方を説明できるスキルのある先生から,他の子ども達や担任の先生そのものと対応の仕方も含めて「つなぐ」機会,まずはその一歩を踏み出してもらえるといいな。


大人で理解してくれる人,他の子ども達とつないでくれる先生・・
「つなぐ人」が多治見にも少しでも増えて欲しいと思った。
多治見は,今は「ききょうスタッフ」が学習が出来るように支援をしてくれているけれど,学校側の授業運営を円滑にするための立場なのか,子どもを支援する,という立場なのかはあいまい。
授業運営を円滑にする,という目的ではない「つなぐ人」,専門的なスキル・知識がある人が少人数からでいいのでいたらいいなと思う。

障がいのある子ども達が担任をする教室にいたら,先生は,対応を学ぶチャンス・・と思ってもらえたら嬉しい。
少しでも,「この子に」どう対応したらいいのか知りたい,と思ってくれる先生がいたら・・子ども達は「つなぐ人」の安心感に包まれる。
今回の視察に同行してくれた安田先生のように。

そして,そういう先生が学びたいと思ったときには,対応の仕方を聞ける人,誰に聞いたらいいのか分かるシステム「つなぐ人」が欲しいと改めて思った。・・それは,多治見市で言うと,支援コーディネーターの先生になるのかなと思った。

全員の先生がその「技術」を身につけられたら理想的なのだろうけれど,先ずは,興味を持ってくれる先生に対応の仕方「スキル」「技術」を一緒になって教えてくれる先生がいたら・・
そういう「つなぐ」大人が少しずつでも増えていったら,いつか「文化」になるかな・・と思った。

他にも,親が教育に関するこの相談は誰に聞いたらいいのか分からないときに,それならこの人に聞いて,とつないでくれる人,
これから必須教科となる道徳,プログラミング,英語など専門的な知識・技術を持つ人と「つなぐ人」も重要だと思う。

予算に限りがあるけれど「つなぐ人」に予算をかけて欲しいと思った。
みなさんは,どう思いますか?

 

2 教育基本計画策定市民委員会

この委員会で,最終的に何を決めたらいいのか,ゴールがよく分かっていなかった。

とりあえず,細かい事業内容で,「こういうことを取り入れて欲しい」と思いつくまま話した。

結局,目的地がはっきりしないから,話し合いがなにかつかみ所のない,「ぼやっ」とした感じを受けた。

 

どの事業を辞めたらいいのか,どの事業を増やすべきか,どの事業を続けるべきかは,何か「理念」に基づいてきめるはず。


その「理念」が共通していないと,重点項目,事業の選択も,その「選択する基準」がないと思った。

多治見の子どもの教育で共通であって欲しい理念って何だろう・・と考えて,また安田先生にヒントをもらった。


将来多治見の子ども達,わが子達にどうなって欲しいか,
そのためにどんな能力を身につけた欲しいか
・・だ。


改めて考えると,私はわが子や多治見の子ども達が大人になったとき,
自分の得意なことをして,それぞれ人の役に立っていってほしいと思う。

そのために,
「障害者の権利に関する条約」に記載のある
その人格、才能及び創造力並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させ」られるようになって欲しいと思う。


これは,障がい者に対して考えられた規定だけれど,
私は多治見の子ども達に,障がいのない子も含めて,どの子も人格・才能や創造力・精神的,身体的な能力を可能な最大限度まで発達させることが出来るようになって欲しい。

日本人は,「常識」を重んじ,「場の空気を読む」文化が根強いと思う。
他の人と違うことが非難されやすい文化がある,だから,「違う」ことを恐れる。


でも,これからは
平均的にどれも出来るようにするのではなくて,それぞれの子が「得意なこと」を「最大限に」伸ばしきれる教育環境であって欲しい,と思う。これから,平均的なことはAIが代わりにやってくれる時代が来ると思う。
そして,この先訪れるグローバル社会でも戦っていける「大人」になるためにも,突出した力こそ,大事な力になると思う。

得意なことを伸ばすことで,苦手なこともはっきりすると思う。けれど,それも認められる大人になって欲しい。
苦手なことは,お互いに助け合あおうとする「人格」を身につけて欲しい。


そして,
AIに負けずに必要とされる能力・スキルを身につけて欲しい。
人間らしい思考の能力,スキル。
よくは分からないけれど,林先生の話を聞いて「論理的思考力」と「コミュニケーション力」を身につけることかなと思っている。


そのために,何を重点において,教育事業をするのか,何を辞め,何を続けるのか・・考えていけたらいいなと思った。

理想とする子ども像,大人になったときの像は委員のメンバーによって違う,と思う。
私は教育の現場をあまり知らない。だから,教育に携わっている「現場」の先生には,その目線でみた「理想像」があるかも,と思う。
まずは委員の間で「理想像」をある程度共通にして,実際の事業を見たときに「現場」からは,この事業はその「理想像」に向かうためにあまり必要がない,あるいは,それならこの事業が必要というのが出てくるのではないかと思う。

みなさんは,子ども達にどんな大人になってもらいたいですか?
そのために,どんな能力を子ども達に身につけてもらいたいですか?


3 子どもが放課後過ごす環境

東濃西部の教育委員研修で多治見市以外の市の状況を知った。

多治見市では当たり前と思っていたことが「当たり前ではない」と改めて実感した。
うちのような発達障がいのある子も,多治見市では学童保育に受け入れてくれるけれど,他市ではそうではない・・

つまり,他市だとうちの子のような場合,民間の有料サービスを利用しなければいけないことになる。

一方で,多治見市は,両親が働いている「保育の必要な子」でなければ,学童には入れないけれど,両親が働いていない子であっても利用できる放課後教室として運営している市もある・・
利用時間も6時まで。


こういう放課後の児童の教育・保育のためにかける費用も市によって色々だと改めて知った。

もちろん比較する話ではないし,自分の働き方がどうなのかによっても,どの市の制度がいいと感じるかはちがう
ただ,私は個人的にはやっぱり多治見市で良かったと改めて思った・・

もし,そうでなかったら働き方も含め,もっと色々なことを考えなければいけなかった気がする・・

「市」として,どういう親を支援していきたいのか,という方針と子ども達の放課後の過ごし方がどうあるべきか,という教育的な観点によっても施策は違うかなと思う。
親の支援が結果として子の支援に繋がる部分もある。


近隣の市だけでもこれだけ施策の違いがあることを知った。
知ることで多治見市の制度に感謝も出来るし,他により良い方法がないか,考えるきっかけになる。

他の保護者の方にも改めて伝えていきたいなと改めて思った。


みなさんの市ではどうですか?
放課後は子ども達にどのように過ごして欲しいですか?
そのために,市からどのような援助があったらいいですか?

 

まとめ


色々な場所を見て,思ったのは3つのこと。

ひとつは,多治見市で当たり前と思っていることは,当たり前ではない。
もう一度感謝すること
,良いと思っている施策は続くよう努力をしたい,ということ。


2つめは,「教育環境を変える」には長い時間がかかるということ。
他市で当たり前のことは,多治見市では当たり前では無いこと。
文化を創るのは長い時間がかかる。

箕面市は,あまりにも自然に,同じ空間に様々な子どもがいるのが印象的だった。

そのために,それを前提とした掲示物(教室内前方の掲示物がすごくすっきりしていてる,注意は文字だけでなく絵で伝える),スロープ,クーラー,エレベーター,落ち着けるような囲いなどが「当たり前」のようにある。

文化は,まずは第一歩を始めないと進んでいかない。
一歩はどこから進めていったらいいのか,ファーストステップを考えたい,ということ。


3つめは,箕面市のような文化をやっぱり少しずつ広げていきたい,と思ったこと。
なぜなら,自分の日常に色々な特性がある子が混じっている方が,そういう「違い」を自然に受け止め,認められる子が育つ,助け合おうという感情も育つ,と思ったから。

データからも,一緒に過ごすことによって,いい影響が出ていることが分かる。
支援が必要なこと一緒に過ごした子ども達は,「困っていたら助けよう」「元気のない子に声をかけよう」という気持ちが増え,「ありがとう,ごめんなさい」が言えたり,「友達からすごいねと誉められて嬉しかった」と感じている割合が高い。
つまり,自分の弱さを出すことの抵抗が減って,他の人へ感謝する気持ち,自分自身を認められる気持ち,自己有用感もあがる。

その文化が広がれば,結果として,私がこうなって欲しいと思う多治見の子ども達が「大人になったときの姿」「身につけて欲しい能力」に近づくと思う。

それぞれが自分の良さ」を遠慮せず,最大限に伸ばすことが出来る。
他の子と違うことを恐れず,それぞれの「良さ」毎に自信を持ち,お互いに違う「他人の良さ」も認め合うことが出来る。
自分の苦手なところ,仲間の苦手なところも許し合える。
そして,苦手なところ,不足しているところを補い合える大人になれる・・・と思うので。


・・今日は,まじめに考えて落ちがなくすみません(笑)。

弁護士をしていて,犯罪を犯してしまう人達を見てきたとき・・
子どものときに与えられる影響がとても大きいこと,大人になってから変わるのはとても難しいこと・・が分かったので,
この「教育」に関われる役割を与えてもらえたことには心から感謝しています。


このブログを読んで下さったみなさまにも,これからの地域,日本そのものの未来を担う子ども達にどんな大人になってもらいたいか,
そのためにどんな教育環境があればいいのか,何をしたらいいのか
考えるきっかけとなりますように…

今回も最後まで読んで下さって,ありがとうございました!