多治見ききょう法律事務所

弁護士 木下 貴子 ブログ

賃金,退職金と損害賠償金との相殺~従業員が仕事上でミスをして損害発生。給与・退職金から損害分を差し引ける?

賃金,退職金と損害賠償金との相殺~従業員が仕事上でミスをして損害発生。給与・退職金から損害分を差し引ける?

いつも読んでいただきありがとうございます!突然ですが,あなたがもし,経営者でしたら,仕事中にミスばかりして,会社に損害を与える従業員,職員がいて困ったことはありましたか?その際,損害を発生させた職員へ「責任」をとらせたこと,お金(損害賠償)を請求したことがありますか?
こんな会社に損害を与える職員になぜ給与を払わないといけないのか?給与とこの損害を差し引き(相殺)したい,と考えたことはあるでしょうか?

反対に,もし,あなたが従業員でしたら,仕事上のミスで,会社から責任を取らされ,損害賠償金を支払った経験はあるでしょうか?

実は,経営者(使用者)が従業員(労働者)に仕事上のミスを理由にお金を請求することには制限があります。
勝手に支払うべき賃金と相殺してしまうと,違法となり,後に賃金を請求されることもあり得ます。
これを知らず,意識しないで請求してしまうと,思わぬ損失を経営者(会社)が被ることがあり得ます。

労働問題についての相談をお受けしていると,労働者のミスによって損害が生じて使用者と労働者の悪化した場合や,これによって解雇や退職に至る場合に関連してよく出てくる問題として,仕事中のミスを理由とする使用者の労働者に対する損害賠償請求の問題があります。

どのような場合に,使用者は労働者に損害賠償を請求できるのでしょうか?
どのような場合には,損害賠償請求をすることが難しいのでしょうか?
労働者に損害賠償を請求できる場合,支払うべき賃金と相殺していいのでしょうか?

今回は,このようなケースに関連する法律の規定や,判例を見ていきたいと思います。

1 使用者の請求の根拠

使用者が労働者に損害賠償請求する根拠は,労働者が労働契約上の債務を履行しなかったことにより会社に損害が生じたとして債務不履行による損害賠償請求するか,労働者の故意・過失によって会社に損害が生じたとして,不法行為による損害賠償(民法第709条)を請求することになります。ですので,労働者に対して損害賠償請求するためには,労働者が労務遂行上通常求められる注意義務に違反した事実が必要となります。そうすると,労務を提供する過程において通常発生することが予想される損害については,損害賠償を従業員に求めることは難しいものと考えられます。

2 使用者の労働者に対する損害賠償請求の制限

私もよくご相談を受けるところとしては,運送業務を業とする会社において,労働者が交通事故を起こして第三者に損害を加えたときです。会社は,使用者責任(民法715条1項)により直接事故によって損害を与えてしまった第三者に対して損害賠償をしなければならない義務を負いますが,このとき,不注意で事故を起こした労働者に715条3項により求償すること,つまり,あなたのせいで会社は損害を被ったのだからお金を支払って下さい,と請求することも可能,とされています。

しかし,労働者が業務中に不注意によって(例えば第三者に)損害を与えた場合に,その労働者が全責任を負うというのは,おかしいのではないか?という感覚を持つ方も多いのではないか,と思います。

それは,なぜか・・・?と考えると,企業が活動する中で生じうる第三者への損害の危険が元々あるところ,労働者は「使用者のために」業務を遂行して(つまり,経営者,企業のために働いた)利益を上げてくれているところ,利益については,一部を「給与」という形でしかもらえないのに,損害が発生した場合には,全てを労働者が負担しなければならないとする点に,不公平感があるからだと思います。

それでは,どこまで企業は労働者に損害の負担,責任の追及をしていいのか・・・?
これについて判断したのが,最高裁昭和51年7月8日判決ですので,ご紹介します。

(1)事案の概要

石油等の運送及び販売を業とする会社の従業員が,特命により臨時的にタンクローリーを運転していたところ,前方注視不十分等の過失により追突事故を起こしたため,会社は,追突された車両所有者に車両修理費用等を支払った。そこで,会社が従業員に対して,民法715条3項により求償するとともに,会社に生じた損害について,民法709条に基づいて損害賠償請求した事案(会社は対人保険には加入していたが,経費軽減のため対物保険・車両保険には入っていなかった)。

(2)最高裁の判断

「使用者が,その事業の執行につきなされた被用者の加害行為により,直接損害を被り又は使用者としての損害賠償責任を負担したことに基づき損害を被った場合には,使用者は,その事業の性格,規模,施設の状況,被用者の業務の内容,労働条件,勤務態度,加害行為の態様,加害行為の予防若しくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし,損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において,被用者に対し右損害の賠償又は求償の請求をすることができるものと解すべきである。」

(3)報償責任の法理というもの

この最高裁の判断の根底には,報償責任の法理があるとされています。つまり,業務命令自体は会社が決定しているのですから,労働に内在するものとして,事業活動において利益を得ている使用者は,その収益活動から生ずる損害については責任を負うのが公平であるとする考え方です。
これにより,使用者の労働者に対する損害賠償及び求償権の行使を一定の割合で制限されることになります。

制限割合については,一律の判断基準はありません。紹介した判例に列挙されている諸般の事情を総合的に見て判断されることになります。

ちなみに,上記事案においては,会社が,石油等の運送・販売という危険を伴う事業であること,会社が任意保険に加入していないこと,労働者が特命により臨時的に加害車両を運転して業務中発生した事故であり労働者の過失が重大なものでないこと,労働者の勤務成績が普通以上であったことを考慮し,労働者に対し求償ないし賠償請求できる範囲は,信義則上損害額の4分の1が限度であるとした原審の判断を相当として認めています。

これが,もし,労働者が管理職で相当の給与をもらっていたり,役員として役員報酬をもらっているような立場であったり,労働者の過失が,スマホを見ながらの運転など,その過失が大きいような場合,普段からの業務上の注意を一切聞かない態度をとっていたりなど,より大きい割合での求償(お金の請求)も認められる可能性があると思います。

3 損害賠償請求権を給与・退職金と相殺すること

仮に,労働者の不注意により労働者が損害賠償義務を負う場合,次に,会社が労働者に支払うべき給与や退職金と相殺することができるかという問題があります。

この点について,労働基準法24条1項は,「賃金は,通貨で,直接労働者に,その全額を支払わなければならない。」とし,賃金全額払の原則を規定しています。

その趣旨は,生活の基盤である賃金の全額が確実に労働者の手に渡らせるためにあるので,最高裁は,労働者の債務不履行による損害賠償請求権,不法行為による損害賠償請求権双方について,賃金との相殺を認めていません。(最判昭和31年11月2日,最判昭和36年5月31日)。

場合によっては,仕事上でミスをしてしまった労働者がそのまま退職することもありますが,その場合に支払われる退職金があったとしても,この退職金も「賃金」に該当して使用者は労働者にその全額を支払わなければならないと考えられています。

そのため,退職金の場合であっても,同様に使用者が一方的に相殺することは許されないことになります。

もっとも,会社が労働者から同意を得て相殺を行う場合,その同意が労働者の自由な意思に基づいてなされたものであると認めるに足りる合理的理由が客観的に存在する場合には,その同意に基づいた相殺は,賃金全額払いの原則に違反せず有効であると判断しています(最判平成2年11月26日)。

労働者が損害賠償金を支払わないといけない場合には,確かに,給与をもらって,そこから支払っていく・・・という構造になるので,給与の支払いから損害賠償金の支払いに充てることも合理的な選択としてあり得るところだとは思います。退職する場合であれば,お互いに退職に伴って,清算しておきたい,という考え方もあるところだと思います。

そのため,経営者としては,勝手に賃金や退職金と相殺することは避け,労働者の意向も聞きながら,同意を得た範囲で相殺をしていく,という方法を選ぶことが大切でしょう。その合意が,労働者の「自由な意思」に基づいてなされたことが分かるように,書面の作成もしておくべきだと思います。

いずれにしても,企業(経営者)は,人を雇って,利益をより上げていくことで,自分の行動にだけ責任をとればいいのではなく,労働者の行動によっても負担,覚悟すべきリスクも増える・・ということになりますね。
判例にも表れていますが,経営者,企業としては,そのリスクに備えた保険などで準備しておくことも検討していく必要があると思います。

それでは,これからも経営者からのご質問の中で,職場の労働問題に関する「これってどうなの?」という疑問,よくあるご質問,間違いやすい企業の対応と注意点などについて,私が普段の相談業務の中から気づいたこと,意識しておくと,経営者も労働者も安心してお仕事が続けられ,より成長発展に役立っていくのではないかな,と思うことをお伝えしていきたいと思います。

これからも。今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!