
説得的な「話し方」をしたい,「論理的」な「話し方」を身に着けたい。どうしたらいいのか?
私が弁護士であることもあって,裁判所の離婚調停の場面などでお話をする際,ご質問をされることがあります。
「裁判所」という場面で話す際には,「雑談」場面とは異なる,伝わるための「話し方」が必要。
そのために,YouTubeや無料メールマガジンなどでもお伝えしています。
説得的で,論理的な「話し方」を身に着けるにはどうしたらいいのか・・?
今回は,少し前に読んだ東濃信用金庫さんが主宰して下さる若手経営者向け「とうしん青経読書会」で読んだ本「ことばの教育を問いなおす~国語・英語の現在と未来」(鳥飼玖美子,苅谷夏子,苅谷剛彦著)の中から,論理的で説得的な話し方,伝え方をするために必要だと感じる力とその磨き方のヒントになると感じた点がありましたので,ご紹介をします♪(写真は,そのときの課題本です)
「論理的」「説得的」な話し方もできるため,その前提として身につけるべき力は?
「論理的」「説得的」に話す力を磨くには,何をしたらいいのか?
「論理的」「説得的」に話すには○○を武器にする
私が「論理的」「説得的」に話すための力の磨き方として必要だと思ったことを3つ,お伝えします。
1 国語力
「日本人にとって,母語である日本語を使う力」
隣に居る人に話しかけたり,慰めたり,叱ったり,提案したり,説得したり,聞き惚れたり,熟読したり,いろいろ見たり,検索したり,メールを打ったり,企画書や報告書を作ったり。
頭の中であれやこれやと悩んだり,それを整理したり,何事か分かったり。
そうしたとき,まさに使っているその力が「国語力」。
論理的,説得的に話すためには,前提として「国語力」が大事。
例えば,治験(薬の効き目を臨床的に確かめる検定)を実施する側が患者にあらかじめ説明しておくべきとされる事柄は驚くほどたくさんある。
患者側としての「知りたい」「わかっておきたい」ということは別に,実施する側が理解しておいていただきたいことがある。
・・そのとき,必要になるのが「国語力」
ここで,教育者として国語教師の「大村はま」さんが紹介される。
はまさんから学んだ生徒は,はまさんの教室で「OS」=オペレーティングシステムを得たと表現してた。
OSは,種々の具体的操作を可能とするための土台,基本的仕組み,ソフトウェア。
文書作成ソフトのwordや表計算ソフトのエクセル,パワーポイントなど個々のソフトウェアアプリを有効に利用するため命令を下すもの。
OSとソフト,個々の知識,スキルとの間を行き来しながら,両方育て更新して行った時,もっとも意味を持ち,成果を上げる。
「国語」の場合は,特にOSそのものを充実させる作用がより顕著。
コンピューターにとってのOSは,人にとっては脳の頭の基本的な働き方,考え方それ自体。
それは,主に「言語」によって展開される。
「大村はま」さんが生徒たちに何より求めたのは,「主体的に学ぶ姿」。
OSの部分と「主体」と直結している。
この本の表現は,私にはやや難解に感じるところもあるのだけれど,人と関わりながら,充実した人生を生きようとしたら「国語力」を磨くことは大事。論理的,説得的に話すための前提となる力。
「国語力」を身に着けるには,OSを身に着けることが大事。OSは,私がこれまで聞いて大事にしてきた表現で言うと,「考え方」「マインド」の部分,なぜ,そう考えるのか?どう定義して考えるのか?の意味に似ているんじゃないかなと思った。
個々のスキル,ソフトも実際に国語力を使うときには必要になるのだけれど,使いながらさらにOSにも磨きをかけ,それを反映してスキルも上げるということで「成果」が上がる,と考えたらいいのかなと思った。
だから,「考え方」OSはもちろん大事なのだけど,とりあえずスキルを実際に使ってみることで,分かることもあるんだろうな・・と思った。
みなさんは,「国語力」どのくらい身についていそうですか?
2 言葉は「武器」
「ことばは錐(きり)のようなものだと感じる」と大村はまさんは言ったことがある。
捉えようがない,茫洋とした姿で目の前にある現実に,ことばをあてていく。
すると錐のように現実に食い込んでいく感覚があり,そこでひとつの理解が生まれる。
登山家がハーケンを打ち込みながら山を登るように,それを頼りに一歩一歩,考えや感情認識し,整理し,気づき,疑問を持ち,分かり,納得し,伝え,共感し・・と歩を進めながら生きていく。
ことばは一生を通じての「武器」のようなもの。
「民主主義」というならば,普通の庶民がちゃんと話し合える人にならないといけないはず。
そう思って,そういう人を育てようとしてくれたのが大村はまさん。
・・まず,「言葉」が「錐のようなもの」という表現が美しくて好き。
本当に「国語力」を使っている感じがする。様々な表現を知識として,またどんな時に使うといいのかOSを使って表現しているのを感じる。すごい。
こういう先生から学んだら,「国語」楽しそうだなあ・・・
本当に「言葉」を使って話し合える力,今の教育で改めて重視されている「対話」する力も身につきそう。
言葉を「武器」と表現しているのも,弁護士として,とても共感した。
どのような「考え方」でどのような「言葉」を選択し,どう使うのか・・これが私たちにとっては,裁判という戦場で戦うための「武器」。
身につけていなければ・・あっという間に切り殺される。
身につけた「言葉」の「武器」が脆弱なら,力を発揮できない。
「言葉」を武器として磨くには,やっぱりいろいろな表現方法を知っておく必要があって,読書などのインプットは改めて大事だな・・と思った。
みなさんは,どんな「言葉」をどんな時に選んで使っていますか?
3 演繹的思考と帰納的思考
「演繹的思考」は,抽象度の高い理論的な表現から少しずつ具体的な事柄に論理的に推論することで具体化して行く考え方。
言葉の概念をその抽象度を下げて,具体例のレベルまで考えていくこと。
「演繹的思考」を促すための簡単な疑問文は,「その概念が指し示す具体例は何ですか?」
「帰納的思考」は,具体的な事柄,事実をもとに,そこから一般化し,抽象度を上げていく推論の方法。
通常,「理論化」というのはこの方向での思考を意味する。
様々な個別具体的な例をもとに,それらに共通する現象に言葉を与えていく過程は,「概念化」と呼ばれる。
「帰納的思考」による推論を使って,具体的な事実から一般化,抽象化をして行くのが社会科学の実証研究。
帰納と演繹との二つの往還が重要。
「交通事故後の死亡(自殺)との因果関係は,どんな事実があれば認められる?認めてもらうための要素」のまとめに記載したのだけれど,弁護士って改めてこの「思考」を使って,言葉化してると思う。
帰納的に,個々の事例から共通点を抽出して規範を定立して,演繹的に,ルールや法則に基づいて結論を得る(≒あてはめ)。
裁判所における判断は,「なんとなく」「私がこう思うから」のような「ふわっ」とした「主観的」な理由で結論(=判決)を出すことは許されない。
本当は,法曹にとって大切な「バランス感覚」から「なんとなく」結論の妥当性,公平性を考えているんじゃないかな・・と私は思っているんだけど,当事者,社会の一般の方がに説明するには,それなりになるほど,と言える判断基準がいるし,判断基準を作って当てはめて結論を出すことで,他の事案との著しい差,不公平感がなく,結果として,「バランス」のとれた判断に近づきやすい。
こうして,「帰納」と「演繹」を行ったり来たり=往還することで,より磨かれて「公正」「公平」と納得してもらえる判断に近づく。つまり,「論理的」「説得的」な表現方法となる。
「考え方」「OS」と「スキル」「ソフト」が行ったり来たりしながら,磨かれていくのとも近いかなと思った。
抽象論だけでは分かり切らず,実際に具体的にやってみないと分からないことがある。
やってみて,あれ「あまりに不当だ」と思ったら,戻って規範定立=抽象論を修正する必要がある。
みなさんは,判決文の構造を意識して,論理的,説得的に話していますか?
まとめ 言葉≒考える力
コンサルタントの柳生雄寛先生の講義での「言葉」が今でも頭に残っている。
「では,今から今年のゴールデンウィークの予定を考えてください」
・・ここで受講生は,ノートに予定を「日本語」で書こうとし始める。
・・すると間もなく,柳生先生は「フランス語で」「イタリア語でもいいよ」と言い出す。
「え?」受講生は,フランス語もイタリア語も分からないから,そこで予定を書こうとしていた手が止まる。
そこで柳生先生から「書けなくなった人」「手が止まった人」は?と質問がある。
全ての受講生が手を挙げる。
・・そう。ここで私たちは「はた」と,「言葉」があるから「予定」を考えることも出来るんだと気づく。
日本人ならその「言葉」は「日本語」
「言葉」がなかったら,相手に伝えることができないだけじゃなくて,自分自身でも考えることが出来なくなってしまう・・・
この経験で,あ~やっぱり「言葉」って大事だな,「言葉」を磨いていかなきゃなって改めて思った。
そして,私にとっては,多分この柳生先生から教えてもらったことがOSになっているような気がする。
それを元に,色々なことを判断して,これは○○に似ているな,これは柳生先生の言うところの△△とほぼ同じかな・・というように。
今回の本の分析も,きっとこのOSを使って,判断していそうだな・・と思った。
こうやって考えてみると・・・
「OS」を得られる瞬間って・・・
「なるほど!」と腹落ちした瞬間,自分で「気づく」という経験をした瞬間なんだな・・・と思った。
もし,抽象的に「言葉で人は物事を考えます」「言葉が無いと,人は何も考えられません」と伝えられたとしても,何も身につかなかったような気がするけど・・
具体的に「体験」させてくれたことで,OSとなったのかな,と思った。
はまさんも・・・子どもたちに「主体的」に体験させることで,OSの力を磨いていたのかも。
改めて,「言葉」≒考える力。
あらためて,「言葉」「国語力」を大切にしたいと思います。
この本は,私からすると少し難解な言葉もあるのだけれど,国語,英語をどう教えたらいいのか,どう学んだらいいのかにつながるヒントがあるので,是非特に教育に関係する方には読んでいただけると嬉しいな,と思いました。
これからも,うちに相談に来て下さる依頼者の方々のため,そして自分自身の子ども達,家族,友人のため,弁護士として,母として,幸せに生きるための方法,考えていきたいと思います。
また,研究発表,致しますね!
それでは,
このブログを読んで下さった皆さまにとって,言葉を武器として身に着けたい方,国語力を磨きたい方,論理的で説得的な話し方,表現方法に興味のある方のヒントとなりますように。
今回も最後まで読んで下さって,ありがとうございました!