多治見ききょう法律事務所

弁護士 木下 貴子 ブログ

JR東海最高裁判決がもたらしたもの

JR東海最高裁判決がもたらしたもの

pic_g065いつも読んで下さって,ありがとうございます!
今回は,3月1日になされた最高裁判決から弁護士として感じたことをお伝えします。
この判決は,新聞にも大きく取り上げられ,弁護士会,認知症の介護をされている方々,身近な認知症の医師など,私の周りでも多くの方が注目していました。
何が問題となっていたかと言いますと・・

私たち弁護士は職務上,成年後見人になることが多いのですが,

認知症である被後見人が起こした事故について,「監督義務者」として損害賠償責任を負ってしまうのか?

・・・もし,そうだとしたら,成年後見人の責任は本当に重く,安易に引き受けられない。

では,成年後見人にとはならず,事実上介護をしているだけならいいのか?

それでも,介護している親が認知症のため,事故を起こしたら,責任を負うのか?

・・・もし,そうだとしたら,介護を引き受けるだけでも怖い。


ということで,この点を判断していただいたのが,今回の判決となります。
今回の判決で,成年後見人となっている多くの弁護士,介護されている家族は「ほっ」としたと思います。
私も,ほっとしました・・・

第一審の地方裁判所,控訴審の高等裁判所では,成年後見人では無いものの,中心的に介護を担っている方に損害賠償義務が認められたので,問題となっていました。


成年後見人・介護者は「監督義務者」にあたるのか?
「監督義務者」にはあたらなくとも,介護していると責任を負う場合があるのか?
どんなときに,認知症の方に関わっている人は責任を負うのか?

 

1.714条の監督義務者ではない

民法714条では,責任無能力者を「監督」する「法定」の義務者は,その無能力者が加えた損害を賠償しなければいけない,とされています。
典型的には,まだ幼くて,判断が出来ない子どもの親には,子どもを監督する「法定の義務」あるとされます。
なので,例えば,子どもがおこしてしまった事故について,親は原則として責任を負います。

成年後見人は,今の民法では「(被後見人の)心身の状態及び生活の状況に配慮しなければならない。」と「法定」されています。
これを「身上配慮義務」と言っています。
認知症のため,判断能力がない方(=責任無能力者)の後見人は,714条の監督義務者となるのか?ということです。

この点,最高裁は言えない,としました。

この事例では,妻が,認知症の夫の「保護者」となっていましたが,精神保健及び精神障害者福祉に関する法律の「保護者」であっても,=714条の監督義務者にはならないとしました。

同様に,親族には,夫婦の同居義務,扶助義務が「法定」されていますが,だからと言って,714条の監督義務者にはならないとしました。


つまり,成年後見人,介護者,配偶者,子どもというだけでは,未成年の子に対する親のような責任(監督義務)はない,としてくれました。

・・・まず,ここで少し安心ですね。

 


2.準監督義務者とは

最高裁は,法定の「監督義務者」に該当しない者であっても,

責任無能力者との身分関係や日常生活における接触状況に照らし,第三者に対する加害行為の防止に向けてその者が当該責任無能力者の監督を現に行いその態様が単なる事実上の監督を超えているなどその監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情が認められる場合には,衡平の見地から法定の監督義務を負う者と同視してその者に対し民法714条に基づく損害賠償責任を問うことができるとするのが相当であり,このような者については,法定の監督義務者に準ずべき者として,同条1項が類推適用されると解すべきである,

としています。


これを準監督義務者と言ったりします。

もし,今回の事例で,親族の方々が「準監督義務者」となると責任を負う立場となります。


この点で,判決では,

ある者が,精神障害者に関し,このような法定の監督義務者に準ずべき者に当たるか否かは,

その者自身の生活状況や心身の状況などとともに,精神障害者との親族関係の有無・濃淡,同居の有無その他の日常的な接触の程度,精神障害者の財産管理への関与の状況などその者と精神障害者との関わりの実情,精神障害者の心身の状況や日常生活における問題行動の有無・内容,これらに対応して行われている監護や介護の実態など諸般の事情を総合考慮して,その者が精神障害者を現に監督しているかあるいは監督することが可能かつ容易であるなど

衡平の見地からその者に対し精神障害者の行為に係る責任を問うのが相当

といえる客観的状況が認められるか否かという観点から判断すべきである。

とし,本件で問題となった事故を起こした認知症の方の妻,主に介護について指示を出していた長男については,準監督義務者にもあたらない,としています。

具体的な事案での検討では,妻に麻痺等があったこと,妻も長男も全面的に介護を引き受けていたわけではないこと,などが考慮されていました。


この意味で,自分一人では介護が出来ず,かといって,施設入所させるなどの介護方針も一人では決定できない場合には,「準監督義務者」にはあたらず,責任を負わないことになりそうかなと思いました。

この意味では,大変ながらも介護を引き受けた者だけが,責任を負うことにはならない,という安心感はでたのかな,と思います。

 

3.残った問題点は?

最高裁判所の言い方からすると,「現に監督しているか,監督することが可能かつ容易」と言える場合には,準監督義務者として責任を負うことになり得ます。

例えば,施設入所中に,認知症の方が外に出てしまって事故を起こした場合,施設会社は「現に監督している」者(もしくは法定の監督義務者)として責任を負う可能性はあります。
成年後見人も,財産を管理していて,十分に施設入所する財産があるのに,認知症の方を在宅のままで支援する方針とした場合には,やはり,「準監督義務者」として,責任を負うことはあり得るでしょう。

また,介護をしている方も,成年後見人にはなっていなくとも,事実上認知症の方の財産を管理し,健康体で,介護方針も全て自分で決定できていた場合には,やはり,「準監督義務者」として責任を負うこともあると思います。


では,介護の負担や責任を分散させれば安心なのか・・・
介護の負担をすればするほど責任も重くなるのは,あまりに酷なので,負担は分担した方がいいと思います。
しかし,分担させれば責任がなくなるわけではなく・・・それぞれ分担した範囲での責任が問題にはなってきそうですね。
分担された範囲という意味では,医師の判断なども問題とされる余地はありますね。
(この点は,最高裁判決で,弁護士出身の木内裁判官の補足意見があります)

 

まとめ 結局は衡平の見地?


裁判所の判断は,最終的には「衡平の見地」にたって,その人に責任を負わせることが社会的に許されるのか,という判断だと私は思っています。
・・それが,法曹のバランス感覚で・・・何よりも大事だと思うところです。

私が弁護士の仕事をすごくすき!と思える点です。

(「公平」ではなく,「衡平」の漢字を使うところも,権利と権利のバランスを考えている感じがして萌えます(笑))


ただ,漠然と衡平の見地から!と言っては,説得力がないので,どのように「衡平」と考えたのか,論理的に考慮すべき事情があげられていますね。

その点で,地方裁判所,高等裁判所での「衡平の見地」は各々の裁判官の感覚として,異なったところがあるのだと思います。
色々な事例を考えていくと,その判断も絶対的な間違いではないかな,と思っています。
(私が以前地方裁判所の判決が出た際に書いた内容はこちら


今回,介護をしている方の負担と責任の重さが社会的に大きく問題となり,最高裁の判例となったと思います。
成年後見人や介護を実際にされている方には,大きな枠組みとして,安心感が出たと思います!

 

それでは,このブログが「認知症の介護をしている方」「成年後見人」をしている方がどんな場合に責任を負いそうか,考えるきっかけとなりますように…
そして,法律の考え方,面白さが,少しでも,伝わったらいいな・・・と思います。

今回は,法律用語が多くて,難しかったかもですが,最後まで読んで下さって,ありがとうございました!

 

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