
「子どもが会いたくないと言っている事案で,それでもどうしても,面会交流が認められてしまいそうな事案があります」
「会おうとすると,体調も悪くしてしまっているのに,それでも会わせるのは,一緒に住む親として子どもへの虐待になってしまうとも思うので避けたいのですが,どうしたらいいでしょうか」
親子交流(以前の面会交流)だって,子の利益にならない場合は制限しなければいけない場合がある。
なのに,分かってもらえない場合,どうしたらいいのだろう・・?
そんなとき,頼りにしてご相談をしてきた先生のお一人が子どもの人権を守る立場で長い間活動をされている愛知県弁護士会の多田元先生。
「子どもの手続代理人」の体験も,ご紹介して下さっていて,子どもを一人の人格のある大切な存在として,主体的に手続きに関与できるようサポートして下さっている姿勢に,いつも頭が下がります。
そんな多田先生が教えて下さった書籍「親権と子ども」。
2017年6月20日発行で少し古い本にはなりますが,これまでの「親権」の考え方が明確に移り変わってきた歴史を実感できて,とても良かった。
数多くの経験とともに子どもの視点を盛り込みながら,親権そして子どもとの関係を具体的に描く榊原富士子弁護士と池田清貴弁護士の共著。
お二人は,「離婚と子ども」に関するケース,子どもの虐待や子どもの手続代理人のケースを多く取り扱っている。
現在の考え方で大切な「親権」の本質は何なのか?
「しつけ」は親権として許される行為なのか?その限界は?
親権者として不適切と判断されてしまう言動は何なのか?
これを知らないで子どもに関わってしまうと,親権者として不適切,と判断されるだけでなく,そもそも大切な子どもの心身に悪影響を与えてしまう・・
この本を読んで,「親はどこまで厳しくするべきか?子どもとの関係が変わる「自分の親に読んで欲しかった本」」「私の人生を変えた息子の言葉」「愛情の伝え方の間違いに気づいた娘の言葉」とか「モラハラをする背景とモラハラ夫・父が変わるために最も大切なこと~99%離婚 離婚した毒父は変われるか」で書いたように,私の人生って本当に親の言動で影響をされてきたんだな・・・と改めて思った。
親からされたことは「愛情」と受け取りやすくて,それがいいものとして無条件に子どもにもしてしまいがち・・
以前だったら,多くの家で当たり前のようになされた「しつけ」としての言動は,許されないものが多い。
今は明確に法律上「子の人格を尊重するとともに,子の年齢及び発達の程度に配慮しなければならず,かつ,体罰等の,子の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動をしてはならないものとする(民法821条)」とされ、子どもを一人の人間として尊重することや「体罰」を「しつけ」名目でしてはいけないことも明示されている。
・・それはなぜかと言えば,そのやり方は,やっぱり「子育て」の方法として,そして「子どもの人権」という意味でも,よくなかったということが分かってきているから。
それでは,今の考え方で「子育て」でしてはいけないことは何か?
親権者とは適切な行動とは?どんな判断基準で裁判所は,子どもと一緒にいるにふさわしい親を決める?
親子交流(面会交流)で,子の利益につながるためにしてはいけないことは何か?
子どもにとって,自分を大切に扱ってもらえたと感じるために必要なことは?
私が思ったことを3つ,お伝えします。
1 親権とは?親権者の判断基準
民法820条で,「親権を行う者は,子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し,義務を負う。」と規定されています。
2016年の日本家族(社会と法)学会のシンポジウムで家族法改正研究会が報告した「成年に達しない子の身上の世話及び教育並びに財産の管理のために,その父母に認められる義務および権利の総称」した定義が紹介されていて,これは,さらに漏れなく,丁寧に「親権」の権利と義務の内容を説明していると思った。
民法820条に出てくる「監護」は身の回りの世話をすること,身上の世話をすること。
そして親権のうちから日々の監護と教育をする義務と権利を取り出して「監護権」と呼んでいた。
令和8年4月の改正民法で,「監護権」を持つ「監護者」に指定されると,「子の監護をすべき者は,単独で,子の監護及び教育,居所の指定及び変更並びに営業の許可,その許可の取消し及びその制限をすることができる」と規定され,監護権で出来る範囲が明確になった。
この本が書かれた当時,「日本では婚姻中は父母の共同親権だが離婚後はいずれか一方の単独親権とされ」ていた。
そもそも,なぜそうだったのか?について触れられている。
「父母が離婚した場合には,父母は別居しており,親権をともに行うことは困難だから」
この発想自体は,離婚後も共同親権を選択できる制度となった令和8年4月以降も変わるわけではないから,離婚,別居しても,その困難を乗り越えて,子の利益のために協力していける関係が「共同親権」を選択する際には,必要だと改めて思った。
「親権者」としてふさわしいかどうかの判断基準。
これからは,子どもと離れて住む親も共同親権者として「親権者」になることがあり得るから,これからは子どもと一緒に住む親(同居親),身上の世話としての「監護」を担う親がどちらがふさわしいか,という判断基準になると思うけれど,以下の具体的な点は,これからも判断基準として重要視はされると思うので改めて紹介します。
裁判所が親権者や監護者を決定する際の基準の一つに,出生以来いずれが「主たる監護者」として育ててきたかという点がある。
(現在は,この「主たる監護者」という表現を使った基準自体は見直しがされてきていますが,「愛着関係が形成されていると認められた場合」「当該親による監護の継続を重視する考え方」として,「従前の監護状況」「子との関係性」の評価として,実際の判断では引き続き,重視されています)
「乳幼児であればオムツの交換,沐浴,風呂,寝かしつけは誰がするのか」
「深夜に泣き出した時に起きてミルクを温めて飲ませるのは誰か」
「子どもの衣服の洗濯」
「予防接種や病気の時に医者へ連れて行くのは誰か」
「保育園や保育園への送り迎え,園へ毎朝持参する着替えなどの荷物の準備」
「服や持ち物への名前をつけ」
「園と親との間の交換ノートに子供の様子を書くのは誰か」
「子どもが病気の時に仕事を休んで家庭で世話をするのは誰か」
「子どもに熱が出たと連絡があったときに仕事を早退して迎えに行くのは誰か」
「排泄の援助やしつけ」
「保育園・幼稚園や小学校入学の際の説明会,子供の種々の行事・発表会,運動会,授業参観,入学式,卒業式,PTAへの参加」
「習い事への送り迎え」
「ベビーシッター頼むときの手配は誰がするか」
「育児休業を取ったのはどちらか」など。
こうした事情を聞き取れば,共働きであっても主たる監護者の多くは「母親」というのが現実。
運動会など特別な行事の父親の参加が増えたが,日常の作業は母親に偏りがち。
保育園の朝の「送り」は父も分担するようになってきたが,「迎え」は圧倒的に母親が多い。
授乳期に始まった父母の役割分業は,それ以降もなんとなく自然に続き,子どもは母親とより近い愛着関係,心理的な絆を形成していることが多い。
こうして離婚後の親権者の8割以上が母親という結果が生まれているようである
と分析されていた。
現在はさらに,父親が日常的な「監護」を負担することが増えている家庭もあると思うけれど,この具体的な評価は,離婚後の同居親として子の監護をするのはどちらがふさわしいのか,を判断する際に今後も重要だと改めて思った。
離婚後親権者かつ同居親として一緒にお子さんと過ごすことを希望する方は,上記のようなことを,どれだけ負担してきたでしょうか?
2 親子交流(面会交流)
「別居親が虐待していたケース」「同居親が別居親からDVを受けていたケース」などでは,面会交流をすることがかえって子どもの体や心を傷つける場合もあることを見逃してはならない。
面会について,子どもはどんな風に感じているか?
子どもの調査を見てみよう。
社団法人家庭問題情報センター『離婚した親と子どもの声を聴く』から抜粋が紹介されていた。
面会をしてよかったと思う理由は,
「母(別居親)を理解する機会が与えられた」
「父(別居親)のいい面も見えてきた」
「勉強などを教えてもらえる」
「父はかつての暴君ではなかった」
「自分を愛してくれるのを肌で感じられた」
「私の心の土台ができた」
「友人と父の話をしても普通に話せる」
「精神的な支えになった」
「好きなおばあちゃんにも会える」
「離れても親であり,どんなひどい人間でも人物でも子どもなら会いたいと思うのは当然」など。
一方,面会をしない方がよかったと思う理由は,
「私のことは嫌いだと言われてから,会うのが怖くなった」
「父は私の話に関心なく,父が愚痴をこぼすための連絡は迷惑」
「父は自己満足だった,私のためだったことは一つもない」
「酔って電話をかけてきたり,中三の私にお金の無心をしたりした」
「なんとなく母に隠しているという形になるし,母からは父と連絡を取っているのかと聞かれるたびにイライラした」など。
面会をしたかったができなかった人は,
「母に父親と会う機会を作って欲しかった」
「一度でいいから会いたかった」
「せめて年1回の誕生日を祝ってほしかった」
「今も十数年前の親の離婚の影響が大きく,ストレスになっている。心理的にかなり追いつめられていたことはトラウマになって私を苦しめる。しかし,母を責める気はない。今の願いは,一度父親に会いたいということだけだ。それが実現すれば,やっと長年の心のもやもやが少し晴れるのではないか」
「(父に)手紙の一通ぐらい書いて欲しかった」など。
父母に対しては,子どもが会いたい気持ちを持っていることを汲み取って働きかけて欲しかったという回答が複数あった,とのこと。
面会を望まずしなかった人は,
「離婚してよかった」
「喧嘩のときの父親の怒鳴り声やしつけの厳しいことで,怖い,嫌いという気持ちしかなかった。父親に会わなくて済むことで気分的に幾分楽になった」などと述べている。
(公益社団法人 家庭問題情報センターでも,まとめてくださっています。https://fpic-fpic.jp/enquete/report.html)
事情が違えば,子どもたちの気持ちも様々に違うことが改めて分かる。
「面会交流を実現しようとする裁判所の積極的な姿勢や,熱心で粘り強い調停委員会の働きかけは,父母間の信頼を回復させたり,これまで困難であった面会を可能にしたりしてきた。
しかし一方で,夫婦間の問題を積み残して父母の関係が相当に険悪なまま,あるいは子どもが拒絶的なまま,無理に決めた調停合意や命令により,子どもにとっては苦痛で酷な面会となっているケースがあることも事実である。
中には子供が面会中に無理心中させられたという報道もある(2017年5月23日付毎日新)による)
また同居時に暴力の場にさらされてきた子どもにとっては,別居後すぐに面会を始めるよりも,まず暴力や暴言から心身が十分に解放されて健康を取り戻し,安心して新しい生活を立て直して行くことが大切である。暴力の影響についての十分な配慮,面会を開始する場合もその時期や方法についての慎重な検討が必要であろう」
と指摘されている。
私自身も・・・本当にこれまで親子交流(令和8年3月までは面会交流とよばれていました)の事案で関わると,本当に「こども」自身の気持ちを捉えられているのか?と思う事案にも多く遭遇した。
お子さんが嫌がっているのにもかかわらず面会交流をするように決められてしまったり,お子さんの意見を全く聞かずに面会交流が決められてしまったりする。
そして子どもの気持ちも変化するにもかかわらず,一度決めた交流方法を変えることや,その日は何となく行きたくない,お友達と会いたい,というようなことも許されなかったりなど,子どもの気持ちに配慮した柔軟な変更をしてもらうことが出来ない・・
他方で,この書籍でも紹介されているような別居親の方で,離婚して親権を取れなかった以上「子どもとは会わない」「会わない方がいい」と決めてしまって一切の面会を断ってしまうケースもあって,同居親(多くは母)側から子どもが別居親(多くは父親)に会いたがっているのですが,会ってもらう方法はありますか?と聞かれるのだけれど,少なくとも,強制力を伴うような法的方法は,今のところ考えにくい。
とにかく「面会」「交流」が出来れば,子の利益になるというわけではないことも・・子どもたちの声からすればハッキリしている。
法務省が作成しているパンフレットの文言を令和8年3月以前のものと比較すると,「適切な親子交流は,こどもの健やかな成長と幸せにつながると考えられます。ただし,親子の安全・安心を確保することができないなど親子交流が子の利益に反する場合には,無理な親子交流は相当でないと考えられます」とされていて,これまでの調査もふまえて,何でも親子交流をすればよい,のではなく「適切」で「安全」「安心」を確保できる親子交流であることを意識してくれていると思う。
お子さんと一緒に住む方は,親子交流についてどのように考えていましたか?
お子さんと離れて住む方は,親子交流について,どんなことに気をつけると子の利益となる「適切」な交流となりそうでしょうか?
お子さん自身のお気持ちを聞いたことはありますか?
3 子どもへの体罰の禁止
この本を読んで,改めて子どもに対する親の「権利」という考え方は徐々に変化してきた歴史を感じました。
2011年の民法改正で児童虐待防止のために懲戒権の規定を含む民法の親権に関する諸規定が改定された。
当時,822条の改正点は2つ。
1つが820条の規定による子に対する「懲戒権」の行使が「監護及び教育に必要な範囲で」行使できると限定されたこと。
もう1つが「懲戒場(親権者が子供を「しつけ」目的で最大6ヶ月間収容できた施設)」に関する部分が削除されたこと。
これに関して著者である池田弁護士さんが「ささやかな改正にもみえるがその意義はきわめて大きい」として「体罰は子どもの利益にならないとする研究結果などが多数ある」こともふまえ,懲戒の方法として体罰が認められるのかという点を検討しているところが,改めて確かに「体罰」は「しつけ」目的でも不適切と納得しましたので,ご紹介します。
紹介されているのは森田ゆり氏のあげる体罰の6つの問題。
①体罰は,それをしている大人の感情のはけ口であることが多い
②体罰は,恐怖感を与えることで子どもの言動をコントロールする方法である
③体罰は,即効性があるので,他のしつけの方法がわからなくなる
④体罰は,しばしばエスカレートする
⑤体罰は,それを見ているほかの子どもに深い心理的ダメージを与える
⑥体罰は,ときに,取り返しのつかない事故を引き起こす
「お父さんがお前をたたくのはお前を愛しているからだよ,お父さんだって心が痛い。でもお前に立派な人間になって欲しいからこそ,お父さんも痛みに耐えているんだよ」
こうやって親から叩かれた子どもの中ではいつしか愛と暴力が結び付けられる。
皮肉にも,子どもを愛する心に嘘偽りのない親であればこそ,体罰を通じて愛と暴力が結びつくことを強烈に子どもにすり込むことになる。
そして将来,その子どもは,愛する妻(夫)をたたく夫(妻)になるかもしれない。
あるいは,愛する夫(妻)からの暴力に抗えない妻(夫)になるかもしれない。
・・体罰は子どもの利益にならない。
「親はどこまで厳しくするべきか?子どもとの関係が変わる「自分の親に読んで欲しかった本」のまとめで書いたように私自身,今で言えば「体罰」に該当するしつけを受けて育ってきたので,「体罰」を許容してしまいがちなところ・・あると思う。
でも,ダメなのだ。
今は,「体罰」が禁止されていることは,法律上明確になっている。
この書籍発行以降に民法はさらに改正され,冒頭に記載した懲戒権そのものの規定の削除,体罰その他子どもに有害な言動の禁止が実現した。
2022年12月10日に民法等の一部を改正する法律案が,参議院本会議で可決・成立し,同月16日から施行された。
改正前の民法822条では, 「親権を行う者は,監護および教育に必要な範囲内で,その子を懲戒することができる。」と,親権者には懲戒権があることが定められており,児童虐待を正当化する口実として使われているとの指摘があったことから,この改正で,民法822条を削除し,親権者は必要な監護教育をすることができることを前提に(民法820条),でも,新たに821条で「監護教育に際し,子の人格を尊重するとともに,その年齢及び発達の程度に配慮しなければならず,体罰その他の子の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動をしてはならない。」とされた。
改正後の条文では,「体罰」の禁止だけではなくて,「子の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動をしてはならない」とすることで「言葉」による暴力についても言及されていることも重要な意義があると思う。
みなさんは,「しつけ」について,どう考えていましたか?
現在の「親権」の考え方,制限をふまえて,親権者として適切な言動でお子さんに関わっていそうでしょうか?
まとめ 子どもを主体とする
離婚後の親権者を決めること,親子交流を実施すること,これらは大きくこれからの子どもの健全な成長に関わることであるけれど,子どもが「主体」として関わる機会が保証されていない。
そのために,親子交流の実施なども,子どもが全く関わらない状況で決められてしまうこともある・・
その結果,「親同士で勝手に決めたことで私を巻き込まないで」「なぜ,勝手に決められたことで私が会わないといけないの」と子どもから同居親が責められてしまっているケースもある。
意思表示がはっきりできる年齢であれば,本来子どもの意思を確認せずに進めていくべきではない,と私は思う。
そして,そのような年齢に達していないとしても・・把握することは重要だと思う。
家事事件手続法65条では「家庭裁判所は,親子,親権又は未成年後見に関する家事審判その他未成年者である子(略)がその結果により影響を受ける家事審判の手続においては,子の陳述の聴取,家庭裁判所調査官による調査その他の適切な方法により,子の意思を把握するように努め,審判をするに当たり,子の年齢及び発達の程度に応じて,その意思を考慮しなければならない」と規定されている。
これは,子ども自身が影響を受ける内容について,影響を受ける本人である子どもの人権が侵害されないよう「子どもの人格を尊重」し,子どもの意思が反映されるように定められたものである。
この場合,年少の子どもの意思であっても,「子の年齢及び発達の程度」に応じた方法を採って把握することが重要とされる。
この点,大阪家庭裁判所の調査官の方々による「離婚調停事件における子の調査の在り方について―「子の意思」の把握・考慮の規定を踏まえて―」(家庭裁判所月報第64巻第11号)において,子どもの年齢による意思の把握方法について記載されている)。
ここでは,4歳(幼稚園の年中組)未満の子どもについては,自分から見知らぬ人とコミュニケーションを取ったり,言葉を流ちょうに話したりすることは難しいため,子どもの意思を子どもの言葉から把握することは難しいとされている。しかし,その上で,客観的に把握される子どもの状況や,挙動等を踏まえて,子どもの意思の把握に努めることになるとされる。
また,4歳前後になって,自分の欲求や願望をある程度,言葉で表すことができるようになってきても,言葉を聴取するだけではなく,置かれている状況に対して示される認識や挙動等に表れる表現に着目するとともに,そうした表現をする背景や経緯も把握し,総合的に評価する必要があるとされている。
・・でも,幼少期の「子どもたちの意思」は全く尊重されずに手続きが進められて来た,という納得しがたい経験が私はある。
この書籍で触れられている2011年の民法改正。
これによって,「親権喪失」「親権停止」「管理権喪失」について,新たに「子ども本人」に申立権が認められたことが触れられていた。
「申立て」をする本人となれば,もはや利害関係人としての「客体」ではなく,当事者そのものとして主体的に関わる立場,つまり,子ども自身の意見を無視はできないことになる。
子ども自身の申立権を認めるかどうかは,賛否両論があったようだけれど,認められたことによって,子ども自身の申立てによってこれらの制度が実施された事例が生じているので,活用されていることは分かる。
・・そして,地味な改正点ともいえるかもしれないけれど,「親権者の変更」についても,令和8年4月からは「子ども本人」にも申立権が認められるようになった。
もし,一度決めた親権者が子ども自身にとって不適切,変えて欲しい,と思ったならば,子ども自身も親権者変更の申立てが出来る。
今一緒に暮らす親と子ども自身が対立することになりかねない手続きになると予想されるので,冒頭の「子どもの手続代理人」の力を借りながらしか,実際には子ども自身が申立てをすることは困難かもしれないけれど,「子ども本人」が申立てることで,子どもの意向は無視できないものになるし,対立している相手方の親によって「洗脳されている」「子ども本人の意思ではない」というような,親子交流でもありがちな議論を出来るだけ避けつつ,子の意思を慎重に反映しながら手続きが進められるのではないかな・・と思っています。
親子交流については,現在,「子供が利害関係人として親子交流調停(審判)に参加できる制度」として参加する際に,子どもの手続代理人制度が利用されているけれど(親子交流調停で子どもの手続代理人制度を利用するか),実績は多くはない。
本当は,親子交流の開始や変更についても,子どもを主体として申立権者とする方向があってもよいのではないかなと私は思う。
そうして,意見を尊重してもらえる(思い通りにならなくとも,気持ちを聞いて一緒に考えてもらえるなど)ことが,子ども自身を大切に扱ってもらえたという経験となって,子どもの自己肯定感,自己効力感を持てることや大人への信頼感に繋がっていき,子どもの健全な発達につながると私は思う。
以前にこどもを「親権喪失」等の申立権者とすることのメリットやデメリットとして議論のあった点のほか,大学受験に関して子どもたちに行われてしまいがちな「教育虐待」の具体的内容など,「親権」の考え方や行使方法について,根本から多角的に考えられる情報が,同居親の視点,別居親の視点ではなく「子ども」の視点でこの本には書かれています。
具体例でイメージしやすいように書かれていますので,本も是非読んで欲しいと思います。
うちに相談に来て下さる依頼者の方々のため,そして自分自身の子ども達,家族,友人のため,弁護士として,母として,幸せに生きるための方法,考えていきたいと思います。
また,研究発表,致しますね!
それでは,
このブログを読んで下さった皆さまにとって,人間関係を構築するためのヒント,親子関係,夫,妻や子との関係を在り方を良いものとしていきたいと考えている方のヒントとなりますように。
今回も最後まで読んで下さって,ありがとうございました!