多治見ききょう法律事務所

弁護士 木下 貴子 ブログ

体験者談~離婚調停で気づいた人生の現実

体験者談~離婚調停で気づいた人生の現実

003みなさま,おはようございます!そして,ありがとうございます♪
先週から一般公開した「離婚調停での具体的な話し方」を解説した無料アドバイスブック「説得力アップシート」を続々とダウンロードしていただいています。


同時に多数の方にダウンロードしていただいているためか,ダウンロードできなかったというお問い合わせも数件ありました。すみません・・・
時間をおいてアクセスしていただくと,ダウンロードできているようですので,お手数ですが,再度お試しいただけたらと思います。


さて,
今回は,男性の依頼者Aさんが発言していた内容から(ご本人の了解を得て)
「離婚調停で気づいた人生の現実」について,お伝えします。

私は,離婚事件を多く取り扱っていますが,その依頼者の多くは女性です。
しかし,女性の気持ちを知りたい,女性の方が妻との話がうまくいきそう,という理由で男性に依頼される場合もあります。
その中で,男性の依頼者が話していたことが「本当にそうだな~」と実感できる内容でしたので,是非お伝えしたいと思いました。

・相手に正しさを認めさせても,人生で勝利者になるわけではない
・裁判でなく,離婚調停で解決した方がいい理由とは?


1 争いは嫌いになりました

離婚調停をするまで,Aさんは,仕事上,相手に自分の主張の「正しさ」を説明してきました。
相手方と意見が違っても,その方法で,相手を納得させてきたという自負もあり,意見を戦わせることも好き,と思ってきたようでした。

・・・しかし,離婚調停をきっかけに,そのあり方が大きく変わったそうです。
きっかけは,妻の代理人弁護士からきた文章の通知。
こちらの意見を聞かない,一方的な文章の内容に驚き,また,法律の専門知識もなかったため,すごく不安になったそうです。

そして,ここからがAさんのすごいところなのですが・・・自分を振り返ったそうです。
これまで,「正しさ」を主張される側の気持ちが分からなかった。
けれど,こんな風に感じるんだな・・・と。

離婚調停を経た今は,もう争いはしたくない・・・と強く思ったそうです。

私も,憧れの弁護士となり,主に裁判事件ばかりをやっていた頃,女性でも「腕力を使わなくても」「言葉の力」で勝てる,やりがいのある仕事だと思っていました。
・・・その気持ちは,今でももちろんありますし,裁判になって戦っているときは,いつでも両手に大きな刀を持ち,華麗な防具を身につけた自分(昔のビックリマンチョコのキラキラシールにあったようなイメージ・分かります?)をイメージしています。

・・しかし,最近は,離婚調停を多く扱う中で,気持ちが大分変わってきました。
弁護士の文章は,弁護士の仕事をしていると当たり前の感覚になってしまうけれど,そうでない方には,不安にさせるような威嚇力がありすぎる。
調停」は話合いの場なので,相手を威嚇するだけでは,うまくいかないことが多い。
弁護士が代理人につくと,離婚調停でも裁判のようにお互いに「書面」を出し合うパターンとなることも多いのですが,私の場合,文章が与える威嚇力,感情をさかなでてしまう力を実感しているので,どうしても必要な場合でない限り「書面」としては出さないようにしています。

仕事では,戦う場面も必要でしょうが,家庭では「正しさ」を追求しすぎると,ギクシャクすることも多いと思います・・・
みなさんは,「戦う」ことが好きですか?
戦いを挑まれた側の気持ちを想像できますか?

 

2 裁判で実現できることに限界がある

Aさんが言われたもうひとつのこと。それは,
正しい」と認められたからと言って,その通りになるわけではない,ということ。

例えば,子どもとの面会交流の方法が合意できず,面会回数,場所などを裁判所に「審判」という形で決めてもらったとしても,実際に実現するのはとても困難
法的に強制する方法はあるけれど,無理矢理子どもを裁判官が連れてきて会わせてくれるわけではない。
子どもや,子どもと一緒に住んでいる親が協力してくれなければ,実際の面会が行われることは,ほぼ無理と言ってもいい・・・

この現実は,裁判所が決めても,守られない・・・という法律の限界を認めることになるので,法律に携わる弁護士としては,辛い現実ではあるのだけれど,「人間」である子どもと会うことを「法律」で強制することはやはり限界がある。
養育費などの支払いは,お金の問題なので,「差押さえ」なども出来ることにはなっているけれど,よく言われるように「ないところからは取れない」という現実があることも事実です。

そのため,いかにして,相手方に面会に協力してもらうか,養育費を支払いたいと思ってもらうか,ということが実際にはとても重要です。


私も最近強く思うのは,この点で,「家庭の問題」であり,特に離婚後も親子として関係を続けていくような場合には,できる限り,裁判ではなく,調停で話し合って解決した方がいいということです。

弁護士としては悲しい裁判の限界,みなさんはご存じでしたか?
これを知ったAさんは,本当に離婚調停の中で,できる限り解決していきたい,と考えるようになったそうです。
離婚しても,親子の関係は切れません・・・離婚後の人生を考えた解決が出来そうですか?

 

3 裁判によるデメリットは

そうはいっても,相手方となかなか折り合えないと,裁判にした方がいいのか・・・と何度も迷うことが通常です。
Aさんももちろん,そうです。
なんでこんなに,自分ばかりが譲らなければいけないのか,それならいっそ,裁判でもいいか?と。

その中で,私が説明するのは,以下のような裁判のデメリットです。

一つは人生の時間。裁判になれば,ここから先,1年,2年と解決までに時間がかかります。大事な人生をそれにつぎ込んでしまっていいのか?
(弁護士としては,裁判の方が仕事になりますが・・・弁護士費用の増加もデメリットの一つですね)

もう一つは,自分の精神的負担。離婚調停でもかなりの精神的負担を感じながらも,耐えてきた方が,裁判になると,多くの方が精神科に通院されてきたのをみています。
おそらく,裁判では,調停よりも本当に「書面」で双方の悪口を出し合うことになるため,その負担感からではないかと思います・・・
そういう私も,裁判になれば,弁護士として依頼者のために戦うのが仕事となりますので,相手方を傷つけるような表現であっても,出さざるを得ないことは多々あります。

そして,もう一つのデメリット,望む結果からの乖離
例えば,もっと,いい条件で子どもと面会したいから,裁判に踏み切る・・・とします。
しかし,裁判になることで,時間,費用をかけさせられ,弁護士からこれまでのことを「文書」で非難される相手方は,当然,今以上にこちらに対して悪感情を持ちます。
そのため,結果として,仮に今よりもいい条件で裁判所が子どもとの「面会交流」を認めてくれたとしても,相手方は絶対にこんなつらい思いをさせた相手に会わせたくない,という思いを強く持ちます。
そうすると,先ほど述べたような裁判による限界もあって,子どもさんとの面会が到底上手く行われるとは思えないのです・・・

もし,嫌々ながらも判決に従って,子どもさんを面会させてくれたとしても,こちらのことをよく思っていないので,子どもさんに「お父さんは(お母さん)は,私とはうまくいかなかったけれど,離婚してもあなたや私のことを考えてしっかり養育費も払ってくれたし,生活を大事にしてくれたよ」というようないい印象で話すことは期待できないでしょう。
単に沢山会えればいい,のではなく,大事な子どもさんから愛される,大事な子どもさんに愛を伝えられる,子どもさんが一緒にいる親に遠慮することなく,楽しく会える,ということが,本当は望む結果なのではないでしょうか?

全て相手の言うままで納得できるわけではないですし,する必要もありません。
しかし,裁判のデメリットを考えると,限界までは,話合いで解決した方がいいと私は思っています。
そのために,「調停委員」という第三者が入ることで,当事者だけでは見えなくなっていた視点に気づき,双方共に「よかった」と思える解決をめざすのが離婚調停のメリットだと思います。

裁判にするかどうかは,自分で選ぶことが出来ます。
みなさんは,離婚を通じた人生の中で,何を大切にしますか?

 

まとめ

Aさんの話を聞いて,あらためて裁判ではなく「離婚調停」で解決できることの良さを実感しました。
また,「離婚調停」の体験を通じたAさんの価値観の変化,についてもすばらしいな・・・と思いました。
離婚」という経験自体は,決して嬉しいことではないと思いますし,辛く苦しいことだと思います・・・
けれど,これを通じて,生き方を感じられたAさんは本当に素敵だと思いました。
人生は,全て学びに満ちていますね。
私としては,子どもさんに少しでも負担が少ない離婚ができたらいいな,離婚後の親子関係が少しでも「望ましい」関係となったら・・・と思っているので,これからも離婚調停に力を入れていきたいと思います。

そんな思いで,「離婚調停での話し方」のアドバイスブックも作ったので,これから広まっていったら嬉しいな,と思います。

それでは,今回の記事が,「離婚」を考えている方々,「離婚調停」中でつらいな・・・と思っている方々のお役に立てますように♪
私も感情的になりすぎず,「論理的に話す」ことで夫と上手く話せることもあれば,「正しさ」を追求しすぎて,うまくいかないこともありますね・・・
両方のバランスを大事にしたいと思います。

最後まで読んで下さってありがとうございました。